= 徒然の漢詩鑑賞 =

  杉篁庵(さんこうあん)主人の漢詩鑑賞ブログです
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冬至の詩
 冬至 杜甫
年年至日長為客、忽忽窮愁泥殺人。
江上形容吾独老、天涯風俗自相親。
杖藜雪後臨丹壑、鳴玉朝来散紫宸。
心折此時無一寸、路迷何処是三秦。

  冬至 杜甫
年年至日長(つね)に客と為り、
忽忽(こつこつ)たる窮愁(きゅうしゅう)人を泥殺(でいさつ)す。
江上の形容、吾れ独り老い、
天涯の風俗、自ら相親しむ。
藜(あかざ)を杖(つ)いて雪後丹壑(たんがく)に臨むも、
玉を鳴らして朝来(ちょうらい)紫宸(ししん)を散ぜむ。
心折れて此の時一寸も無く、路迷ひぬ何れの処か是れ三秦(さんしん)。

毎年冬至の日は常に旅人となり、
深い愁いは私にまとわりついて離れません。
長江のほとりにたたずむ私はひとり老い、
故郷を遠く離れた異郷の風俗にも自分から親しむようになりました。
藜(あかぎ)の杖をついて出かけて行き 雪の消えた赤い色の谷を見下ろし、
都では腰の佩玉(はいぎょく)を鳴らして朝臣たちが紫宸殿を退く頃であろうと思います。
私の心は折れて このとき一寸の大きささえなく、
都の方を眺めてみても路に迷って都長安はどこにあるのかも分からないのです。


 至后 杜甫
冬至至後日初長,遠在劍南思洛陽。
青袍白馬有何意,金谷銅駝非故鄉。
梅花欲開不自覺,棣萼一別永相望。
愁極本憑詩遣興,詩成吟詠轉淒涼。

 至后 杜甫
冬至至後 日初めて長く、遠く剣南に在りて洛陽を思ふ。
青袍白馬に何の意有らん、金谷銅駝も故鄉に非らず。
梅花開かんと欲すれども、自ら覺えず、棣萼(ていがく)一別永く相ひ望むのみ。
愁ひ極れば本と詩に憑りて興を遣り、詩成りて吟詠すれば轉(うた)た淒涼なり。

冬至、冬至が過ぎるとやっと日が長くなりはじめ、遠く剣南の地にあって、洛陽のことが思い出されます。
下級官僚の青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味がありましょう、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌も安史の乱以降は馴染みの姿ではないのですから。
梅の花は咲こうとしている事に自分では気が付きもしませんが、「棣鄂之情」ともいう兄弟とは一別以来永らく互に思いをやっています。
詩を作り吟じれば吟じるほど愈々悲しさが募るばかりです。


 邯鄲冬至夜思家  白居易
邯鄲駅裏逢冬至、抱膝燈前影伴身。
想得家中夜深坐、還応説著遠行人。

「邯鄲(かんたん)の冬至の夜に家を思ふ」 白居易
邯鄲の駅裏(えきり)にて冬至に逢ひ、
燈を前に膝を抱くや影身に伴ふ。
想ひ得たるは、家中の夜深けて坐し、
還(ま)た応(まさ)に遠行の人を説著(せっちゃく)すべきを。

 邯鄲の冬至の夜に家を思う 白居易
邯鄲の宿場で冬至を迎えて、
燈(ともしび)の前で膝を抱えて座ると影が我が身に寄り添います。
そして、思いめぐらすのです、故郷では夜になると家族そろって
きっと遠く旅上にある私のことを話しているだろう、と。
06:51 | 漢詩鑑賞 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
翡翠(かわせみ)
  翠鳥
     蔡邕『古詩源』より
庭陬有若榴、冤婀淬移董
翠鳥時來集、振翼修容形。
囘顧生碧色、動搖揚縹悄
幸脱虞人機、得親君子庭。
馴心託君素、雌雄保百齡。

  翠鳥(すゐてう)
庭陬(ていすう)に若榴有り、
緑葉に丹栄を含む。
翠鳥時に来り集ひ、
翼を振りて容形を修む。
回顧すれば碧色を生じ、
動搖すれば縹青(へうせい)を揚ぐ。
幸ひに虞人(ぐじん)の機を脱して、
君子の庭(てい)に親しむを得たり。
心を馴らして君が素(そ)に託し、
雌雄百齡を保つ。

・蔡邕〔さいよう〕:後漢の文学者、書家。133年〜192年。
・翠鳥〔すゐてう〕:カワセミ。 
*「翠鳥=作者。庭陬=国土。若榴=天子。丹榮=天徳。」を象徴した彩り豊かな詩。

庭の隅(すみ)に石榴(ざくろ)の木があり、
緑の木の葉の中に赤い花を咲かせている。
カワセミが、時々飛んできて集まって、
翼(つばさ)を振り、姿を繕い清めている。
ふりかえると、水面の波にあおみどり色が生じ、
池の水が揺れ動いて、はなだ色になっている。
幸(さいわ)いにも、狩人の矢に狙われる危うさから脱して、
君子の庭に親しく居ることがでる。
心安らぎ、君主の真心に任せて、
カワセミの夫婦のように揃って穏やかに百歳の長寿を保とう。
11:13 | 漢詩鑑賞 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
「翠微」を詠った杜甫と李白の詩
昨日知った語に「翠微」がある。これを詠った杜甫と李白の詩をあげる。

  秋興八首 其三  杜甫         
千家山郭靜朝暉、百處江樓坐翠微。
信宿漁人還泛泛、清秋燕子故飛飛。
匡衡抗疏功名薄、劉向傳經心事違。
同學少年多不賤、五陵衣馬自輕肥。

千家(せんか)の山郭に朝暉(ちょうき)静かなりて、
百處の江楼に翠微(すいび)坐したり。
信宿に漁人は還(ま)た汎汎(はんはん)として、
清秋に燕子(えんし)は故(ことさら)に飛び飛ぶ。
匡衡(きょうこう)は疏(そ)を抗(あ)げて功名薄く、
劉向(りゅうきょう)は経(けい)を伝えて心事(しんじ)違ふ。
同学の少年多く賎(いや)しからず、
五陵の衣馬自(おのずか)ら軽肥(けいひ)ならむ。

山沿いの千戸の街に朝日が静かに射し入り、
川辺の全ての楼は緑の香気に包まれている。
旅を伸ばせば釣人は点々と舟を浮かべ、
澄みわたる秋空に燕はことさら飛びまわる。
いまの匡衡は上奏しても功名薄く、
いまの劉向は経書を講じても志と違ってしまう。
同学の若者たちは多く立身出世を遂げ、
五陵の辺で軽裘肥馬の富貴の身分を楽しんでいるだろう。

自分を包む自然の美しさに比べ自分を省みる。「匡衡・劉向」は前漢の学者で、その努力が認められ官に上った。それにひきかえ、いまの「匡衡」や「劉向」であるべき自分は「功名薄く」「心事違う」状態である。かつての同学であった若者は、それぞれ立身出世を遂げ、高級官僚の多く住む「五陵」(五つの陵邑)に家を構え、「軽肥」(軽裘肥馬)の身分になっていると、挫折した自分の人生を嘆いている詩。  


 下終南山過斛斯山人宿置酒:李白
暮從碧山下、山月隨人歸。
卻顧所來徑、蒼蒼埒虍。
相攜及田家、童稚開荊扉。
冀歹幽徑、青蘿拂行衣。
歡言得所憩、美酒聊共揮。
長歌吟松風、曲盡河星稀。
我醉君復樂、陶然共忘機。

 「終南山を下りて斛斯(こくし)山人の宿を過るに酒を置きて」李白
暮に碧山より下れば、山月人に隨ひて帰る。
来る所の径を却顧(かえりみ)れば、蒼蒼として翠微に圓呂襦
相ひ攜(たずさ)へて田家に及べば、童稚 荊扉(けいひ)を開く。
緑竹幽径に入り、青蘿(せいら)行衣を払ふ。
歓言憩ふ所を得て、美酒聊(いささ)か共に揮(ふる)ふ。
長歌松風に吟じ、曲尽きて河星稀なり。
我酔へり君も復た樂みて、陶然として共に機を忘る。


日暮れに碧山から下ってくると、山月も私についてくる。下りてきた道を振り返れば、青々とした山並みに道が続いているのが見える。
君と連れ立って田家につけば、子どもらが門を開けて迎えてくれた。緑の竹が幽徑まで生い茂り、青いツタが衣にまとわりついて埃を払うかのよう。
談笑しながら体を休めるところを得て、ともに美酒を酌み交わす。松風に乗せて長々と歌を歌い、歌い終われば天の川もかすかになっている。
私は酔った、君もまた楽しんだろう。共にこの境地に遊んでつまらぬことは忘れてしまった。
12:31 | 漢詩鑑賞 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
襄陽の歌
襄陽は、孟浩然の出生地であり、三顧の礼の舞台でもある。
酒仙李白はこのように詠っている。


 襄陽歌  李白
  落日欲沒峴山西
  倒著接蘺花下迷 (蘺→【上四下離】 )
  襄陽小兒齊拍手
  遮街爭唱白銅鞮
  傍人借問笑何事
  笑殺山翁醉似泥
  鸕鷀杓、鸚鵡杯
  百年三萬六千日
  一日須傾三百杯
  遙看漢水鴨頭
  恰似葡萄初醗醅
  此江若變作春酒
  壘麹便築糟丘臺
  千金駿馬換小妾
  笑坐雕鞍歌落梅
  車傍側挂一壺酒
  鳳笙龍管行相摧
  咸陽市中歎黄犬
  何如月下傾金罍
  君不見晉朝羊公一片石
  龜頭剥落生莓苔
  涙亦不能爲之墮 
  心亦不能爲之哀
  誰能憂彼身後事
  金鳧銀鴨葬死灰
  清風朗月不用一錢買
  玉山自倒非人推
  舒州杓 力士鐺
  李白與爾同死生
  襄王雲雨今安在
  江水東流猿夜聲

 「襄陽の歌」 雑言古詩 李白
落日没せんと欲す峴山(けんざん)の西
倒(さかし)まに接蘺(せつり)を著けて花下に迷ふ 
襄陽の小児斉(ひと)しく手を拍(う)ち
街を遮(さへぎ)って争ひ唱ふ白銅鞮
傍人借問(しゃくもん)す 何事をか笑ふと
笑殺す 山翁酔ひて泥に似たると
鸕鷀(ろじ)の杓(しゃく)、鸚鵡(おうむ)の杯
百年 三万六千日
一日 須らく三百杯を傾くべし
遙かに看る 漢水の鴨頭(おうとう)の緑
恰かも葡萄の初めて醗醅するに似たり 
此の江 若し変じて春酒と作(な)らば
麹(きく)を塁(かさ)ねて 便ち築かん糟丘(そうきゅう)の台
千金の駿馬 小妾に換へ
笑ひて雕鞍(ちょうあん)に坐して落梅を歌はん
車傍に側(かたむ)け挂(か)く一壺の酒
鳳笙(ほうしょう)龍管(りゅうかん)行くゆく相ひ摧す
咸陽の市中に黄犬を歎くは
何ぞ如(し)かん 月下に金罍(きんらい)を傾くるに
君見ずや 晋朝の羊公の一片の石
亀頭(きとう)剥落(はくらく)して莓苔(ばいたい)を生ず
涙も亦 之が為に墮(お)とす能(あた)はず
心も亦 之が為に哀しむ能はず
誰れか能く彼の身後の事を憂へんや
金鳧(きんぷ)銀鴨(ぎんおう)死灰(しかい)に葬(ほうむ)らる
清風 朗月 一銭の買ふを用ひず
玉山自ら倒るるは 人の推すに非ず
舒州の杓 力士の鐺(とう)
李白 爾(なんじ)と死生を同じうせん
襄王の雲雨 今安くにか在る
江水東流して 猿夜に声(な)く

・峴山:襄陽の東南九里にあるという山。
・接【上四下離】:白帽、晋の山簡の故事を引く。・倒著接蘺:山簡は帽子を逆さに被り、馬に後ろ向きで乗馬するといった奇行を度々犯して、当時流行った襄陽童謡に歌われたといわれている。酒に酔ったときの様。
・白銅鞮:曲の名。
・借問:問うてみる。
・山公:山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一の山濤の子。
・鸕鷀杓:鵜の形をした酒をくむひしゃく。・鸚鵡杯:鸚鵡貝の盃。
・鴨頭僉Сの首の毛のやうな緑色をしている。
・壘麹:つみかさねた麹(こうじ)。・糟丘臺:殷の紂王が酒の粕で岡を築いたやうにうてなを築こう。
・駿馬換小妾:後魏の曹彰が駿馬を見つけ、手に入れたいと、「自分には好い妾(めかけ)たちがいるので、あなたがすきな妾を選び、馬とを交換しよう」と持ちかけたという故事。
・雕鞍:玉をちりばめた鞍。・落梅:曲の名。『落梅花』
・鳳笙龍管:鳳の鳴き声のような(鳳の姿のような)笙に、龍のなき声のような笛の音。
・歎黄犬:秦の宰相李斯は刑場に牽かれるとき、子に「吾なんぢとまた黄犬を牽いて上蔡の東門を出で狡兎を逐はんと欲するもあに得べけんや」と嘆き、殺された。
・金罍:雷雲の模様を画いた黄金製の酒器。
・羊公:呉と闘った西晋の名将羊祜。死後その頌徳碑が峴山に立ち、みるものみな悲嘆したので堕涙碑といわれた。
・龜頭:石碑の土台の亀の頭。石碑の土台部分は亀のような形をして、甲羅に碑を背負っている形になっている。・莓苔:莓は苔に同じ。
・朗月:明月。
・玉山自倒:竹林の七賢の一である三国・魏の嵆康の酔った様は、玉山のまさに崩れんとするやうだったという。・玉山:美しい容姿のたとえ。崑崙山の西にある西王母のいたところ。
・舒州:酒器の名産地。今の安徽省潛山。・力士鐺:今の江西省南昌より産した力士の形を刻した酒を温めるのに使う三本脚の鼎。
・襄王雲雨:楚の襄王が高唐に遊んだ故事による。楚の襄王(一説に、父の懐王)が高唐の台に遊んだとき、寝の夢の中で巫山の神女の「願わくは枕席を薦めん」という言葉により、神女を寵愛し契を結び、神女は雲雨となって現れると言った。「巫山之夢・巫山雲雨」

 《訳詩》
夕日が西に落ちる頃
逆さに被る羽根シャッポ
花咲く下の千鳥足
街の子供ら手打って
囃し歌って通せんぼ
「何がそんなに面白い?」
「ふらふら酔ってドロみたい」
ヒシャク・サカヅキ手に持って
人生百年 せいぜい三万六千日
日に三百杯 飲みに飲む
遠く眺める川緑
まるでできたてワイン色
この川みんな酒になれ
酒粕積んで丘作ろ
若いメカケを馬に換え
飾った鞍で唄歌う
馬車の横には酒の壺
道々笛を奏でつつ
この人生を悔やむ無く
月下で酒を傾けん
知っていますか記念碑だとて
今はそこらのだだの石
土台は欠けて苔茂る
悲しい話し聞いたって
涙も出でず哀しめず
死後を愁いてなんとする
葬式飾り無駄なこと
清らの風と月明かり
それだけありば金いらぬ
酔って倒れてそれだけだ 
ヒシャクよナベよ俺はなぁ
生きるも死ぬも一緒だぞ
夢はいずこへ消えたやら
川は流れてとどまらず
夜のしじまに猿の声


襄陽は漢水の中流にある町で、李白の本拠地安陸とは近いところ。敬愛する孟浩然が住んでいたこともあり、李白はたびたび訪れたよう。
自分を竹林の七賢にもならべ、人生をあくせく生きることの空しさと、酒に溺れる歓楽とを歌う。漢江を見てこれがすべて酒に変ずればと思い、酒器と死生を共にせんという。
李白が酒仙と称される所以であろうか。私が訳すとなんとなく哀しくなる。


なお、この「君不見晉朝羊公一片石」と詠われる「羊公碑・堕涙碑」は日本でも良く知られていたのか、松尾芭蕉は「奥の細道の旅」で、義経の忠臣佐藤忠信・継信兄弟ゆかりの地を訪ねた時の章段にひいている。
「佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半ばかりに有り。飯塚の宿鯖野と聞て尋ね尋ね行くに、丸山と云に尋ねあたる。是庄司が旧館也。麓に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも二人の嫁がしるし、先ず哀れ也。女なれどもかいがいしき名の世に聞こえつる物かなと袂をぬらしぬ。堕涙の石碑も遠きにあらず。寺に入りて茶を乞えば、爰(ここ)に義経の太刀、弁慶が笈(おい)をとゞめて什物(じゅうもつ)とす。
 笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)〔端午の節句の5月なのだから、弁慶の笈も義経の太刀も、帋幟といっしょに飾って祝ってもらいたいものだ。〕」
「中国にあるその碑を見たものは必ず涙を流すという有名な堕涙の碑だが、中国だけのことではないのだ、案外近くにあったのだなぁ」と感慨に耽っている。
11:39 | 李白 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark
酒を把(と)りて月に問ふ

酒と月といえば、李白は酒に酔って長江に映る月を掴もうとして溺死をしたといわれているが、その李白の一首。


 把酒問月
   故人賈淳令余問之
       李白
愿畦月來幾時、
我今停杯一問之。
人攀明月不可得、
月行卻與人相隨。
皎如飛鏡臨丹闕、
儕賁狽効羌奄ぁ
但見宵從海上來、
寧知曉向雲塁鵝
白兔搗藥秋復春、
姮娥孤棲與誰鄰。
今人不見古時月、
今月曾經照古人。
古人今人若流水、
共看明月皆如此。
唯願當歌對酒時、
月光長照金樽裏。


 「酒を把(と)りて月に問ふ」
晴天に月有りて 来(このかた)幾時ぞ
我今杯を停(とど)めて 一たび之に問ふ
人明月を攀(よ)づるは 得べからざるも
月行 卻(かへ)つて 人と相(あひ)随ふ
皎(きょう)として飛鏡の丹闕に臨むが如く
緑煙 滅し尽くして 清輝発す
但だ見る 宵に海上より来たるを
寧(なん)ぞ知らん 暁に雲間に向かひて没するを
白兎 薬を擣(つ)きて秋復(ま)た春
姮娥(こうが)孤り棲(す)みて 誰と隣せん
今人は見ず 古時の月
今月は曾経(かつて) 古人を照らせり
古人今人 流水の若(ごと)く
共に明月を看ること 皆此(か)くの如し
唯だ願はくは 歌に当たり酒に対する時
月光の長(とこし)へに金樽の裏(うち)を照らさんこと

・飛鏡:空を飛ぶ鏡で月の形容。 
・丹闕:仙人の住む宮殿の赤い門。
・儕譟夜の青い靄。 
・搗藥:不老不死の薬をつく。
・姮娥(こうが):「嫦娥」。太陽を射落としたことで知られる英雄「羿(げい)」の妻である嫦娥(姮娥)が、西王母から貰った不老不死の霊薬を飲み一人月へ昇り月宮で寂しく暮らすことになったという中秋節の故事「姮娥奔月」による。また、その足下にいるウサギは「月兎(玉兔)」で、玉の杵と臼で不死の藥をついているという。


 訳詞
月は何時(いつ)より輝くと
盃(さかづき)とどめ問うてみる
月に昇るは難けれど
我に随ふ月のあり
鏡のごとく輝きて
靄掻き消して澄み渡る
海からのぼる宵の月
雲間に沈む明けの月
兎の搗ける春秋を
姮娥は一人誰とある
昔の月は見えざるも
古人照らせる月なりき
古人今人流れ行き
同じ思ひに月を見き
歌ひ飲む時ただ願う 
黄金(こがね)の酒をとこしへに
月照らせかしとこしへに

 詩の意
晴れた空に月が出はじめてから、
どれだけの時間が流れたのだろう。
私は盃を置いて、訊ねてみる。
人は月にによじ登るうとしても、それはできない。
しかし月は、人に付き従ってくるものだ。
白く澄んでまるで夜空に鏡が飛ぶようで
仙人のすむ赤い宮殿の門を照らしているよう。
緑の夕もやは消え失せ、月は清らかな輝きを放っている。
夕暮れに東の海から月が上るのを見るばかりで、
人はその月が、明け方に雲の間に没して行くのを知らない。
月に棲む白兎は、秋も春も不老長寿の薬をついているが、
嫦娥は、誰と一緒に過ごしているのだろうか。
今の人は、昔の月を見ることはできない、
しかし今輝いている月は、確かに昔も輝いていた、同じ月なのだ。
流れる水のように人は移り変わっていくが、
今の人も昔の人も、共に名月を見上げる心は同じ思いであろう。
私はひたすら願う。歌をうたい、酒に向かう時、
月の光がいつまでも金の酒樽の中を照らしていてほしいと。

11:33 | 李白 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
早發白帝城

だいぶ間が開いてしまったが、少し酒の歌から離れて李白の詩を見てみる。



 早發白帝城  李白
朝辭白帝彩雲痢
千里江陵一日還。
兩岸猿聲啼不住, (啼不住=啼不盡)
輕舟已過萬重山。 (輕舟已過=須臾過却)

 早(つと)に白帝城を発す
朝(あした)に辞す白帝 彩雲の間
千里の江陵 一日(いちじつ)にして還る
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに
軽舟已(すで)に過ぐ 万重(ばんちょう)の山

白帝城:現在は中国重慶市奉節県の長江三峡の一つ瞿塘峡(くとうきょう)に位置する地名。長江沿いの崖の中腹に建っている城。
彩雲:朝焼け雲。
江陵:現在の湖北省江陵。長江の下流。
還:「帰る」「行く」。
啼不住:絶え間なく啼く様子。
萬重山:幾重にも重なっている山々、の意。

朝早く、朝焼け雲のたなびく白帝城に別れを告げて、千里先の江陵まで舟はわずか一日で進んでいく。切り立った両岸から絶え間なく聞こえる猿の啼き声の続くうちに、私の乗った小舟はいつの間にか幾重にも重なった山々の間を通り過ぎていた。

・各々の詩の殆どの制作年代が分っている同時代の杜甫とは対照的に、李白の詩は、多くが作られた時期や背景が不明である。それは時局に触れた詩が少ないという李白の創作態度にもより、また初めて全集が編纂されたときに創作年代を無視してテーマ別に並べたという事情にもよるという。
この詩も成立事情として、李白が25歳、故郷の蜀から中央に旅立つときの作という説と、夜郎に流される途中、白帝城で恩赦にあい釈放された59歳の時の作という両説がある。
私が高校時代習った時は、青年が未来に向けて出立するときのときめきを詠んだものとされた。こちらが通説であったようだが、現在は赦免の時とする説の方が多いだろうか。

・二十五歳の時の詩とする説。
李白の生母は太白(金星)を夢見て李白を懐妊したといわれ、名前と字はそれにちなんで名付けられたとされ、5歳頃から20年ほどの青少年期、蜀の青蓮郷を中心に、読書に励むとともに、剣術を好み、任侠の徒とも交際して活動していた。725年(開元13年)、二十五歳の頃、蜀の地を離れ、都へと向かう。この詩は「峨眉山月歌」に続いて長江を下るときの詩とする。

「峨眉山月歌」
峨眉山月半輪秋  峨眉山月半輪の秋
影入平羌江水流  影は平羌の江水に入りて流る
夜發清溪向三峽  夜清渓を発して三峽に向ふ
思君不見下渝州  君を思へども見えず渝州に下る 

この説のとき、「一日還」の「還(「帰る・もどる)」というのが不自然ともいわれる。「還」とは、本来最初の出発地点に引き返すのをいうが、「痢廚留い蓮攵緤申集渮茵(刪潸關彎闤〔還〕環鐶鬟都班斑頒般蠻顏姦菅攀頑豻〔山〕鰥間蕑艱閑〔痢葉鷴慳孱潺殷斒斕湲綸眅憪擐轘跧扳瞷鬘黫訕澴靬患獌玢豩寰嫻癇黰僝疝灣)であるから、「痢Υ圈山」と押韻上、「還」が通意の「行く」として使われたと解される。
「一日還」は、川の流れがいかに早いかを表すとともに、浮き立つ心を表わす辞と捉えられよう。

・五十九歳の時の作という説。
玄宗の第一六子永王が粛宗の命令を無視して軍を動かし謀叛とされた。その時李白(759年59歳)は永王の幕僚となっていたため、罪を得て夜郎にながされる。その途中で赦免され、白帝城から帰途についた。この詩は、その時の開放された喜びにうきうきとする心情をうたうとする。
李白に、遡上の難儀から三日三晩で髪の毛が白くなったとうたう「上三峡」もあり、「千里江陵一日還」には三峡遡上の経験あってこその想いという。

「上三峡」 李白
巫山夾青天 巴水流若茲
巴水忽可尽 青天無到時
三朝上黄牛 三暮行太遅
三朝又三暮 不覚鬢成糸

巫山青天を挟み 巴水流れること茲の如し
巴水忽ち尽くすべし 青天に到る時無し
三朝黄牛を上り 三暮行くこと太だ遅し
三朝又三暮 覚えず鬢糸と成る    

巫山は青空をさしはさんでそそり立ち
巴水はその名のとおり巴字のように曲がりくねって流れる
巴水はやがて上り尽くすこともできようが
青空へは到達する時がない
三日間、毎朝、黄牛峡をさかのぼる
三晩かかっても舟足はあまりにも遅い
三日と三晩
知らないうちに髪は糸のように白くなっててしまった

・「千里江陵一日還」について
白帝城から江陵までの千里の距離を一日で舟航することについては、六朝時代、宋の盛宏之の『荊州記』に「朝に白帝を発し、暮に江陵に到る。凡そ千二百余里。」後魏、酈道元の『水経注』には、「朝に白帝を発し、暮れに江陵に宿る。其の間千二百里」とある。
しかし、白帝城から江陵まで、距離は四〇〇キロぐらい、長江の水流は、三峡の最も速いところで時速二四キロといわれるから、平均時速は、おそらく二〇キロ以下であろう。二〇キロとしても、四〇〇キロ下るには二十時間かかる。「一日」といっても、舟旅は日のあるうちのことであろうから、これは中国流の誇張表現ともみられる。

・「猿聲」について
「断腸の思い」の故事や「巴東三峡、巫峡長し。猿声三声、涙は裳を沾(ぬ)らす」(『水経注』)のように、古来、三峡の猿声は悲しみを誘うものであった。
故郷の人々と別れる悲しみの象徴とも、無罪放免となった李白にとって悲しかるべき猿声も祝福の声と聞こえるとも解される。

・対の表現について
「‘白’帝」「‘彩’雲」という鮮やかな色彩の配合、「辞」と「還」の動詞の照応、「千里」というはるかな空間と「一日」というわずかな時間の結合がもたらすスピード感、「軽」「重」の対、これらによって、その心情が鮮やかに表出されている。

舟出の朝の美しく、さわやかなようすに、
江陵までのあまりに軽快な舟旅、
悲しみの極みと言われる猿の声も耳に快く、
まことに、爽快な舟旅だという。

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友人會宿


友人と飲んで宿した夜、酒談を楽しみ、天地を衾枕とする壮大な気持ちを歌う。


 友人會宿 李白
滌蕩千古愁、留連百壺飮。
良宵羌甲漫≒月未能寢。
醉來空臥山、天地卽衾枕。


 友人と宿に会ひて
滌蕩(てきとう)す 千古の愁ひ、
留連(りゅうれん)す 百壺(ひゃっこ)の飲。
良宵(りょうしょう)清らかに宜しく談ずべし、
皓月(こうげつ)未だ寝(いぬ)る能(あた)わず。
酔ひ来つて空山に臥すれば、、
天地は即ち衾枕(きんちん)なり。


・滌蕩:汚れを洗い落とすこと。
・留連:遊興にふけって、家に帰るのを忘れること。
・皓月:明るく輝く月。明月。
・空山:人けのない山。
・衾枕:掛け布団と枕。


千年分の愁いを洗い落とすように、
百壷ほどの酒を飲んで帰りそびれた。
良い晩には俗世のことを忘れて高尚な話をしよう、
明るい月の下 とても寝ることなどできない。
酔っぱらって静かな山の中に寝転がれば、
天と地はそのまま心地よい布団と枕。


22:36 | 李白 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
自遣


これは一人静かに飲む酒である。
寂しさと静けさと憂さと、失意の時期の詩であろうか。


 自遣 李白

對酒不覺暝、落花盈我衣。
醉起步溪月、鳥還人亦稀。

 自ら遣る  
酒に対して暝(く)るるを覚えず、
落花 我が衣に盈(み)つ。
酔ひより起きて溪月(けいげつ)に歩(あゆ)む、
鳥還(かへ)り 人も亦た稀(まれ)なり。

・自遣:みずからを慰める。
・暝(めい):日が落ちる、暮れる。
・盈:(次第に多くなって)みちる。

日の暮れるのも気づかずに酒に向かっていた、
いつのまにか散る花びらが、わたしの衣服をみたしている。
酔いから醒めて、谷を月明かりのもとに散策した、
鳥はねぐらに帰って姿を見せず、訪ねてくる人の姿もない。



11:29 | 李白 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
對酒


 對酒 李白
勸君莫拒杯,春風笑人來。
桃李如舊識,傾花向我開。
流鶯啼碧樹,明月窺金罍。
昨日朱顏子,今日白髮催。 (昨日=昨來)
棘生石虎殿,鹿走姑蘇臺。
自古帝王宅,城闕閉黃埃。
君若不飮酒,昔人安在哉。

君に勧む 盃を拒む莫れ、
春風 人に笑ひて来(きた)る。
桃李 旧識の如く、
花を傾け 我に向ひて開く。
流鶯 碧樹に啼き、
明月 金罍(きんらい)を窺ふ。
昨日 朱顏の子、
今日 白髪催す。
(いばら) 石虎の殿に生じ
鹿 姑蘇台(こそだい)を走る。
(いにしへ)(よ)り帝王の宅と
城闕は黄埃に閉さる。
君若し酒を飲まざれば
昔人安〈いづく〉に在りや。

・旧識:以前からの知り合い。昔からの知人。旧知。
・罍:中国古代の青銅器。酒器。
・棘:サネブトナツメ。酸棗(さんそう)。
・石虎殿:石の虎が刻まれる古代帝王の墓。〔石虎(せきこ)は五胡十六国時代の後趙の第三代の皇帝建武帝。次々に大宮殿を造営した。九華宮〕
・姑蘇臺:呉王夫差の宮殿姑蘇台。夫差の寵妃西施(せいし)のいた宮殿である。江蘇省呉県の西南。
・自古:昔から。昔より。
・安在哉:どこにいるだろうか(反語)。

李白にはこの詩の背景と同じくするものに、「蘇臺覽古」や「烏棲曲」という詩がある。

 「蘇臺覽古」 李白
舊苑荒臺楊柳新,(旧苑荒台 楊柳新たに)
菱歌羮不勝春。(菱歌の清唱 春に勝(た)へず)
只今惟有西江月,(只(た)だ今惟(た)だ有り西江の月)
曾照呉王宮裏人。(曾(かつ)て照らす 呉王宮裏の人)

 「烏棲曲」  李白
姑蘇臺上烏棲時(姑蘇の台上、烏棲む時)
呉王宮裏酔西施(呉王の宮裏に、西施を酔はしむ)
呉歌楚舞歓未畢(呉歌楚舞、歓び未だ畢らず)
青山欲銜半邊日(青山銜(ふく)まむと欲す、半辺の日)
銀箭金壺漏水多(銀箭金壷、漏水多し)
起看秋月墜江波(起ちて看る、秋月の江波に墜つるを)
東方漸高奈楽何(東方漸く高く、楽しみを奈何せん)

また、室町時代前期の禅僧である絶海中津の「姑蘇台」に
姑蘇臺上北風吹、過客登臨日暮時。麋鹿群遊華麗盡、‥‥囘首長洲古苑外、斷烟疎樹共凄其。(姑蘇台の上に北風が吹き抜けてゆく。旅人は日暮れ時にこの台に登った。台より見わたせば、多くの鹿が群れをなして遊んでいるが、華やかであった姑蘇台の面影は全く見当たらない。‥‥台上からふり返って見れば、夫差の父闔閭が華やかに遊猟楽しんだ長洲苑の古跡外、まばらに生えている樹木は往時とは似ずまことに寂しい光景であった。)の句がある。

かつての宮殿の庭園や亭台の跡は古び荒れ果てているが、春はやはりめぐってきて、春の彩りに染められている。時は速やかに過ぎていく。昔を偲べば、飲まずにいられようか。
(土井晩翠の「春高楼の花の宴めぐる盃かげさして千代の松が枝わけいでし昔の光いまいづこ。天上影はかはらねど栄枯は移る世の姿写さんとてか今もなほ嗚呼荒城の夜半の月。」の気分であろうか。)

20:22 | 李白 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
對酒醉題屈突明府廳


 對酒醉題屈突明府廳 李白

陶令八十日、長歌歸去來。
故人建昌宰、借問幾時回。
風落吳江雪、紛紛入酒杯。
山翁今已醉、舞袖為君開。

 酒に対し酔うて屈突の明府庁に題す
陶令八十日にして、
長歌す帰去来。
故人 建昌の宰に、
借問す 幾時か回(かへ)ると。
風の落とす呉江の雪、
紛紛として酒杯に入る。
山翁今已に酔ひて、
舞ひの袖 君が為に開く。

・題:書き記す。
・明府廳:役所。明は尊敬の接頭辞。
・屈突:不詳。友人か。中唐の詩人錢起(せんき・722年〜780年)の詩に「送屈突司馬充安西書記」がある。
・陶令:陶淵明(陶潜)のこと。彭沢県令だったことからいう。陶淵明は県の長官になって八十日余りで官を辞し、酒を愛し自然を友として詩境三昧にふけった。
・八十日:陶潜が彭沢の県令となって八十日過ぎ、県の督郵(巡察官)が政務の視察にやって来た時、必ず礼服を着けて督郵に面謁することと言われ、「吾れ豈に五斗米の為に腰を屈して郷里の少児にまみえんや」と歎き、即日、県令の印綬を解き職を辞し帰郷した。そして「帰去来辞」を作り「五柳先生伝」を著した。
・長歌歸去來:「帰去来辞」「帰去来兮 田園将蕪胡不帰(帰りなんいざ 田園将に荒れなんとす なんぞ帰らざる)」で始まる詩。
・故人:古くからの知り合い。旧友。
・建昌(けんしょう):遼寧省葫芦島市に位置する県。
・借問(しゃもん):こころみに質問する。しゃくもん。
・呉江:太湖から呉県、蘇州を通って現・上海市へ東流する川。現在の呉松江。江蘇省蘇州市に位置する市。
・山翁:山簡(さんかん)字を季倫。酔っ払いの代名詞。李白は自分のことをこの人に例える。「秋浦歌 其七」には「醉上山公馬」とある。


「酒を飲んで酔って屈突県令のお役所に書き付けた詩」
彭沢の県令だった陶淵明は任官してから八十日で、
「帰去来の辞」を作って故郷へ帰ったそうだ。    
昔なじみの建昌の県令どのは、
いつ故郷へ帰るのですか。
風に舞ってはるか呉江の雪が、
乱れ散って杯に降り入ります。
酒好きの私はもう酔っぱらって、
踊りだす用意をして、あなたの帰りを待っています。

11:32 | 李白 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark

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