= 徒然の漢詩鑑賞 =

  杉篁庵(さんこうあん)主人の漢詩鑑賞ブログです
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「翠微」を詠った杜甫と李白の詩
昨日知った語に「翠微」がある。これを詠った杜甫と李白の詩をあげる。

  秋興八首 其三  杜甫         
千家山郭靜朝暉、百處江樓坐翠微。
信宿漁人還泛泛、清秋燕子故飛飛。
匡衡抗疏功名薄、劉向傳經心事違。
同學少年多不賤、五陵衣馬自輕肥。

千家(せんか)の山郭に朝暉(ちょうき)静かなりて、
百處の江楼に翠微(すいび)坐したり。
信宿に漁人は還(ま)た汎汎(はんはん)として、
清秋に燕子(えんし)は故(ことさら)に飛び飛ぶ。
匡衡(きょうこう)は疏(そ)を抗(あ)げて功名薄く、
劉向(りゅうきょう)は経(けい)を伝えて心事(しんじ)違ふ。
同学の少年多く賎(いや)しからず、
五陵の衣馬自(おのずか)ら軽肥(けいひ)ならむ。

山沿いの千戸の街に朝日が静かに射し入り、
川辺の全ての楼は緑の香気に包まれている。
旅を伸ばせば釣人は点々と舟を浮かべ、
澄みわたる秋空に燕はことさら飛びまわる。
いまの匡衡は上奏しても功名薄く、
いまの劉向は経書を講じても志と違ってしまう。
同学の若者たちは多く立身出世を遂げ、
五陵の辺で軽裘肥馬の富貴の身分を楽しんでいるだろう。

自分を包む自然の美しさに比べ自分を省みる。「匡衡・劉向」は前漢の学者で、その努力が認められ官に上った。それにひきかえ、いまの「匡衡」や「劉向」であるべき自分は「功名薄く」「心事違う」状態である。かつての同学であった若者は、それぞれ立身出世を遂げ、高級官僚の多く住む「五陵」(五つの陵邑)に家を構え、「軽肥」(軽裘肥馬)の身分になっていると、挫折した自分の人生を嘆いている詩。  


 下終南山過斛斯山人宿置酒:李白
暮從碧山下、山月隨人歸。
卻顧所來徑、蒼蒼埒虍。
相攜及田家、童稚開荊扉。
冀歹幽徑、青蘿拂行衣。
歡言得所憩、美酒聊共揮。
長歌吟松風、曲盡河星稀。
我醉君復樂、陶然共忘機。

 「終南山を下りて斛斯(こくし)山人の宿を過るに酒を置きて」李白
暮に碧山より下れば、山月人に隨ひて帰る。
来る所の径を却顧(かえりみ)れば、蒼蒼として翠微に圓呂襦
相ひ攜(たずさ)へて田家に及べば、童稚 荊扉(けいひ)を開く。
緑竹幽径に入り、青蘿(せいら)行衣を払ふ。
歓言憩ふ所を得て、美酒聊(いささ)か共に揮(ふる)ふ。
長歌松風に吟じ、曲尽きて河星稀なり。
我酔へり君も復た樂みて、陶然として共に機を忘る。


日暮れに碧山から下ってくると、山月も私についてくる。下りてきた道を振り返れば、青々とした山並みに道が続いているのが見える。
君と連れ立って田家につけば、子どもらが門を開けて迎えてくれた。緑の竹が幽徑まで生い茂り、青いツタが衣にまとわりついて埃を払うかのよう。
談笑しながら体を休めるところを得て、ともに美酒を酌み交わす。松風に乗せて長々と歌を歌い、歌い終われば天の川もかすかになっている。
私は酔った、君もまた楽しんだろう。共にこの境地に遊んでつまらぬことは忘れてしまった。
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