= 徒然の漢詩鑑賞 =

  杉篁庵(さんこうあん)主人の漢詩鑑賞ブログです
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冬至の詩
 冬至 杜甫
年年至日長為客、忽忽窮愁泥殺人。
江上形容吾独老、天涯風俗自相親。
杖藜雪後臨丹壑、鳴玉朝来散紫宸。
心折此時無一寸、路迷何処是三秦。

  冬至 杜甫
年年至日長(つね)に客と為り、
忽忽(こつこつ)たる窮愁(きゅうしゅう)人を泥殺(でいさつ)す。
江上の形容、吾れ独り老い、
天涯の風俗、自ら相親しむ。
藜(あかざ)を杖(つ)いて雪後丹壑(たんがく)に臨むも、
玉を鳴らして朝来(ちょうらい)紫宸(ししん)を散ぜむ。
心折れて此の時一寸も無く、路迷ひぬ何れの処か是れ三秦(さんしん)。

毎年冬至の日は常に旅人となり、
深い愁いは私にまとわりついて離れません。
長江のほとりにたたずむ私はひとり老い、
故郷を遠く離れた異郷の風俗にも自分から親しむようになりました。
藜(あかぎ)の杖をついて出かけて行き 雪の消えた赤い色の谷を見下ろし、
都では腰の佩玉(はいぎょく)を鳴らして朝臣たちが紫宸殿を退く頃であろうと思います。
私の心は折れて このとき一寸の大きささえなく、
都の方を眺めてみても路に迷って都長安はどこにあるのかも分からないのです。


 至后 杜甫
冬至至後日初長,遠在劍南思洛陽。
青袍白馬有何意,金谷銅駝非故鄉。
梅花欲開不自覺,棣萼一別永相望。
愁極本憑詩遣興,詩成吟詠轉淒涼。

 至后 杜甫
冬至至後 日初めて長く、遠く剣南に在りて洛陽を思ふ。
青袍白馬に何の意有らん、金谷銅駝も故鄉に非らず。
梅花開かんと欲すれども、自ら覺えず、棣萼(ていがく)一別永く相ひ望むのみ。
愁ひ極れば本と詩に憑りて興を遣り、詩成りて吟詠すれば轉(うた)た淒涼なり。

冬至、冬至が過ぎるとやっと日が長くなりはじめ、遠く剣南の地にあって、洛陽のことが思い出されます。
下級官僚の青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味がありましょう、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌も安史の乱以降は馴染みの姿ではないのですから。
梅の花は咲こうとしている事に自分では気が付きもしませんが、「棣鄂之情」ともいう兄弟とは一別以来永らく互に思いをやっています。
詩を作り吟じれば吟じるほど愈々悲しさが募るばかりです。


 邯鄲冬至夜思家  白居易
邯鄲駅裏逢冬至、抱膝燈前影伴身。
想得家中夜深坐、還応説著遠行人。

「邯鄲(かんたん)の冬至の夜に家を思ふ」 白居易
邯鄲の駅裏(えきり)にて冬至に逢ひ、
燈を前に膝を抱くや影身に伴ふ。
想ひ得たるは、家中の夜深けて坐し、
還(ま)た応(まさ)に遠行の人を説著(せっちゃく)すべきを。

 邯鄲の冬至の夜に家を思う 白居易
邯鄲の宿場で冬至を迎えて、
燈(ともしび)の前で膝を抱えて座ると影が我が身に寄り添います。
そして、思いめぐらすのです、故郷では夜になると家族そろって
きっと遠く旅上にある私のことを話しているだろう、と。
06:51 | 漢詩鑑賞 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
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